神社も不変ではない
今日の1ページは千種区の八坂社。
すでになくなってしまった神社を登録しても意味がないと思うかもしれないけど、そうでもないと私は考えている。
一度も行ったことがない神社は写真も撮ってないから載せようがないのだけど、一度でも行って知っているところはなるべく登録することにしたい。
数年単位で考えると神社は時が止まっているように感じるかもしれないけど、実は神社も一種の生きもので、たえず変化している。数百年単位ならそれは当然だし、数十年単位でもそうだ。たとえその間に戦争や大地震といった大きな出来事がなかったとしてもだ。
遷座や合祀もあれば、廃社ということもある。名古屋市内だけでもそういうところをいくつか見た。今日まで当たり前にあった神社が明日もそのまま存在し続けるとは限らない。
だからこそ、今行ける神社はできるだけ行っておきたいし、書いて残しておきたい。この先どうなってしまうか分からないから。
このサイトもまた常に変化し続ける必要があると思っている。一度書いたら終わりではない。間違っている箇所は正し、あらたに分かったことは書き足し、変わったところは変わったと追記していかなければならない。
八坂社は残念ではあったけど、神社は不変ではないということを再認識させてくれたという意味でいうと、これもひとつの教えなのかとも思う。
生々流転、諸行無常。時間は常に流れ続け、私たちもまた変化し続けざるを得ない存在だ。ただ、それは必ずしも悲しむべきことではないと思っている。