新田開発マップが欲しい
今日の1ページは中川区八剱町の八劔社。
名古屋北東部の神社について調べているときは、たびたび郡境の問題にぶつかって悩まされた。南西部の場合は、江戸時代に開発された新田問題というのがある。
何年頃どのエリアを干拓して新田にしたかという絵図はあるのだけど、それが今の何町に当たるかまでは分からず、そこでしばしばつまずく。
八剱町の八劔社もそうで、ここは熱田新田なのか、中野新田なのか、それ以外なのか、結局よく分からなかった。
すぐ南にある十一番町の八劔社は十一番割の神社と分かる。
八剱町はもともと何村だったのだろう。
何村なのかが分からないと、江戸時代の史料を当たるにしてもどこを見ていいのか分からない。
その場合、『愛知縣神社名鑑』に情報がなければお手上げということになってしまう。
名古屋(尾張)は地誌に恵まれている方で、他の市や県で同じようなことをしようとするともっと苦労するのではないかと思う。
このサイトが完成する頃には、名古屋の古地図が頭に入っているなんてことになっているだろうか。そのためにはもっと多くの古地図に当たらないといけない。