神社は誰のもの?
今日の更新は中区の正木秋葉神社と熱田区の櫻田神社。
神社は基本的に公に開かれているものだと思うけど、たまに私的なのか公なのか判断に迷う神社がある。
閉じた門を開けて民家の庭まで入っていこうとは思わないし、企業の敷地にあるものも参拝の対象とは思ってないのだけど、どちらともつかない微妙な感じのところがある。
正木秋葉神社は大丈夫だ。名駅南の秋葉神社はどうだろう。
屋根神様は表に出ているけど、あれは一般人が参るものなのかどうか。
民家の庭と一体化しているようなところもあって、これってプライベート神社じゃないのって思うこともある。
いや、むしろ自分ちに庭があれば庭全体を神社化してもいいのかと思ったりもする。その庭神社に知らない人が入っていて参拝していたら止められるのだろうか、などと意味のないことを想像したり。
神社って結局、誰のものなんだろうと考えることがある。
神のためのものであり、社家のものであり、氏子のものであり、地域の人のものであり、参拝者のためでもある。それはそうなんだけど、神社は誰のものかという問いに対する明確な答えを見出すことが必要なのではないかとも思う。
その問いは、神は誰のものかというのとはまったく違う種類のものだ。
たとえば、神社というものをまったく知らない外国人にとって神社とは無価値で無意味なものなのか?
神社など一生に一度も行かない人にとったら神社は無駄なものでしかないのか?
あるいは、無自覚だとしても神社そのものが勝手に機能するものなのか?
神社サイト作りを進めながら、そんなことにも思いを巡らせていきたい。