今日の1ページは瑞穂区の眞好天神社。
天神社と称していた神社が明治に道真を祀る天満宮になった例は少なくないけど、古墳の上で祀っていた石が菅原道真になったというのは初めて聞いた話だ。
石を祀るというと、ミシャクジ信仰を思い浮かべるけど、ここの場合はそういった民間信仰とは少し毛色が違うようだ。
そもそもの始まりはいつで、誰がどんな神を祀ったのか。その石のルーツも古いんだか新しいんだかよく分からない。
神社とはこうであるべきだなどといった決めつけは禁物だ。神社は決して止まっていない。今現在も生き続けて変わっていっている。すでに決定してこの先何も変わらないと思ったらそれは間違いだ。
1000年前と現在がまったく違っているように、今と1000年後もまったく違う。当然、神社の在りようも、人と神社との関係も、今とは違っているだろう。
私にできることは少ない。神社が辿ってきた歴史を紐解き、今現在の神社の姿をわずかに伝えるだけだ。
何年後まで保てるか分からないけど、平成末というこの時期に名古屋の神社の今を総まとめすることは、何かしら意味があるのではないかと思っている。
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