創建が神社の始まりではない

 今日の1ページは緑区西丸根の神明社
 下村一族が志摩国小浜から大高に移ってきたのが南北朝時代というのなら、室町から戦国時代にかけての歴史上に名前が出てこないのは何故だろう。小浜ではどんな豪族だったのかは分からないけど、何らかの争いに敗れて逃げてきたというニュアンスのようだから、政治的なものだったか軍事的なものだったかだろう。大高では武士をやらなかったのだろうか。
 やはり『下村一族のあゆみ』は一度読んでみるできだろう。大高にやって来た理由や大高で何をしていたのかといったことも書かれているんじゃないだろうか。
 何か分かれば追記したい。

 一族が氏神を祀るのはごく自然なことで、社殿といったものを持たなくても祀ることはできる。
 この神明社の場合も、社を建てたのは1661年でも、その前から氏神を祀っていたのは間違いない。それは当然ながら大高に移ってくる前の小浜時代からのことだ。
 たとえば伊勢の神宮の創建は大化の改新の後だとか持統天皇のときなどと言われることがあるけど、社殿を整えたのがその頃ということで、創祀自体はずっと古くから行われていた。社殿を建てたことがその神社の始まりではない。出雲大社も実は新しい神社だというのも半分は正しいけど半分は間違いだ。
 古い神社の創祀をいつとすることは難しいのだけど、縄文時代の信仰が途切れずに続いたものが神社となったのであれば、その神社は縄文時代からあったと言えなくもない。古い神社のいくつかは、少なくとも弥生時代からあったと言うことはできる。

 それにしても、一族で祀っていた神社がこのように表に出されてそのまま一族が祀っている例は稀だ。そういう意味ではとてもユニークな神社と言える。