今日の1ページは緑区鳴海相原郷の諏訪社。
旧住所は大形山なので、大形山の諏訪社といった方が通りがいいのかもしれない。
神ノ倉の熊野社と無関係とは思えないのだけど、勧請と遷座の伝承に混乱が見られるのは何故なのか。
熊野社のページを書くときにもう一度考察してみるけど、やっぱり分からないというのが結論になりそうだ。
伊冨利部氏がこのあたりまで出張ってきていたとしたら、それもまた興味深い。
伊福神社がこの地にあったとすれば『延喜式』の927年よりも前ということで、そうなると飛鳥時代から奈良、平安に到るまでの鳴海の勢力図というのも考え直す必要が出てくる。
本編では検討しなかったのだけど、どうして諏訪社と熊野社だったのかもよくよく考えてみないといけない点だ。
この問題はけっこう重要な鍵を握っているので、このままうやむやにはできない。
宝賀寿男『古代氏族の研究12 尾張氏 后妃輩出の伝承をもつ東海の雄族』は、なかなか示唆に富んだ内容で楽しめた。
全部をそのまま信じることはできないとしても、尾張国だけではなく広い視野で他の氏族と絡めながら尾張氏というのもを捉えないと本質が見えてこないという発想には共感する。
地元の人間ではない分、尾張についての知識が書籍上レベルにとどまっているのだけど、多くの氏族を研究している分、他との関係や比較の中で尾張というものを捉えている。
私は郷土史家といったものではないけれど、地元の人間としては、実際に現地に足を運んで感覚的に捉えることができるという利点があるので、フィールドワークを大事にしないといけないということもあらためて思った。
中央から見た視点と地元から見た視点をあわせて補完し合えればより深く歴史の真相に迫れるのではないと思う。
これまで読んだ神社関係本や歴史本についてもどこかでまとめて紹介したい。
神社コラムに書くか、本のページを独立させるか、どちらがいいだろう。
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