移住と検地と神社創建

 今日の1ページは緑区平手の神明社
 創建のいきさつについて大まかな部分では明確なのだけど、細かい部分でやや混乱が見られる。
 平手新田の成立が検地の行われた1653年として、その2年前に神社を建てるということもあり得ることで、むしろ検地が終わってから神社を建てていたのでは遅いくらいだ。
 検地が行われたということは継続的に作物が収穫できる状態になったということで、実際の米作りは1653年より数年前に始まっていたはずだ。
 村として正式な独立が検地後だったとしても、移住もまたそれ以前と考えられるから、神社を建てたのはやはり1651年の可能性が高いと思う。
 問題は誰が中心となって建てたかということだけど、おそらく地主とか村長とかそんな人物が中心となった連名だろうとは思う。鳴海村が関わっていたとしたら庄屋かもしれないし、新田村の人の総意かもしれない。
 もともとの祭神の国常立尊は消えているのかいないのかもちょっと気になるところだ。
 神明社で国常立尊を祀る例はわりとある。江戸時代の人の国常立尊に対する認識や思いはどういうものだったのだろう。

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