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伝わっている歴史の違和感

 今日の1ページは南区豊の若宮八幡社
 幕末の1856年に氷室長冬が氷室新田を開発したというのは歴史的な事実なのだろうし、新田の守り神として神社を建てたというのも話として矛盾はない。しかしながら実際に神社を訪れて受けた印象と、語られる歴史が合わないような気がするのは何故だろう。どこか違和感がある。
 意外な歴史を持つ神社というのはわりとあるし、歴史を知ってから出向いていってイメージが違っていることもよくあるのだけど、ここの場合はそういうことではなくて、何かが違っているような気がするのだ。何が違うのかは分からないし、違ってなどいないのかもしれないけど。
 そもそもでいうと、名古屋総鎮守とされた若宮八幡社の神官が、どうして南区に新田を開発しようとしたのかという謎がある。謎というか不思議というか、これも違和感の要因になっているのかもしれない。
 氷室長冬についてもう少し知れば何か見えてくるものがあるのだろうけど、情報は少ない。
 氷室長冬ともども、この神社についてはもう少し気にしておくことにしたい。

 南区はあと20社ほど残して、ここでいったん中断となる。残りはまだ回っていない。
 北区、西区あたりもまだけっこう残しているので、しばらくそちらをやることになる。
 南西エリアに気を取られていたら、北東エリアの残りを忘れそうになっていた。
 つまりは全域がまだ終わっていないということだ。終わったつもりの瑞穂区なども実は終わっていないのかもしれない。

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