五社あれば五社社というわけでもあるまいに

 今日の1ページは西区中小田井の五所社
 五社あるから五社社というのは理にかなっているようでなかっていない。そんなことをいえば、二社あるところは二社社、三社あるところは三社社といったようなことになってしまう。
 五社社/五所社といってもいろいろなパターンがあって決めつけるのは危険なのだけど、ここの場合は途中から五社社になったのではないかという気がする。本編にも書いたように、もともとは何からの神社だったのを五社祀るようになって以来、五社社になったのではないか。
 ではその最初の神社が何社でいつ誰が建てたかというと、まったくのお手上げとなってしまう。もちろん、最初から五社社として建てられたのかもしれない。

 庄内川北エリアはわりと古い神社が多いのだけど、歴史をさかのぼれば、清洲にあった朝日集落の南東部に当たり、縄文時代後期から弥生時代にかけて人が暮らす土地だった。それを考えると古い神社があっても不思議ではない。
 ここより東の北区は、庄内川南に古い神社が点在している。ただし、庄内川の流れは何度も変わったようだから、現在の北と南で分けて考えてはいけない。
 エリアでいうと、下小田井は清須市になっているのだけど、上小田井、中小田井、下小田井でセットなので、下小田井だけを別に考えるわけにはいかない。
 小田井村の東の味鋺、味美エリアは尾張物部氏の本拠だった土地だ。そのあたりとの関係はどうなっていたのか。
 まだまだ私自身、見えていないことが多すぎる。

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