部外者には知り得ないこと
今日の1ページは南区道徳の稲荷社。
本社扱いで中央に神明社らしき社があって、その隣に稲荷社があれば、普通は神明社を名乗る。にもかかわらず稲荷社を名乗っているということは、稲荷社の方が上位だったということだろうか。
本編でも書いたように鷲尾善吉が最初に開発したときに稲荷社を建てて、その後、完成したときに神明社を建て、その二社がどこかで合体したということは考えられないだろうか。
ただ、そういう経緯があれば記録に残りそうなものだから、その推測は外れているのかもしれない。
神社の創建、遷座、合祀は、外部からは知り得ない事情というのがいろいろある。
部外者の私にできることといえば、分かる範囲のことを調べて、多少想像などを交えて調査結果をまとめることくらいだ。それが誰かの役に立つことがあれば、何らかの価値があったと喜ぶことができる。役に立たなくても、多少の自己満足はある。