考古学と神社
今日の1ページは西区天塚町の神明社。
西志賀あたりは弥生時代は海辺で、海岸沿いには人が暮らしていた。
海を挟んだ対岸には朝日遺跡と呼ばれる大きな集落があった。尾張を代表する弥生時代の環濠集落だ。
おそらく、西志賀の集団は朝日とは別の集団だっただろう。規模は比べものにならないくらい小さい。この集団の子孫が綿神社を建てたのかもしれない。
名古屋の歴史を考える場合、現在の名古屋市内だけを考えていては周辺部を見落とすことになる。北西部でいうと清須市、春日井市、あま市、大治町あたりはもちろん、できることなら小牧市、稲沢市、一宮市あたりまで範囲を拡げて同一エリアとして考えなくてはいけない。
神社の歴史は弥生時代から始まっているわけではなく、縄文時代にはすでに祭祀の原型はあっただろうし、それをいえば旧石器時代までさかのぼる必要があるかもしれない。
古墳時代から飛鳥時代にかけての勢力図が後に神社へとつながっていくので、考古学的な基礎知識も持っておかないといけない。土地に関する歴史も非常に重要だ。
神社の起源を解き明かすためにも、もっと古墳や遺跡の調査はされるべきだろう。
神社を考古学からアプローチするのもひとつの方法論だ。