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すべてのピースは決して揃わない

 今日の1ページは守山区村合町の神明社
 その神社が江戸時代にどこの村の神社だったのかが分からないと、その後の調べが進まないというのがある。それが分かれば進むし、分からないともやもやが残る。
 村合町の神明社は大森垣外村だと思うんだけど、結局最後まで確信が持てなかった。

 神社に限らず、歴史をやる上で大切なことは、分からないことを知ることだ。分からないことを自覚しないと、分かっていることと分かっていないことの区別がつかず、分かったつもりになって方向を間違える。
 ジグソーパズルにたとえれば、分かっていることが手持ちのピースで、分からないことは手元にないピースだ。手元にないピースがはまる部分は空白にしておかなければならない。手持ちのピースだけを使って無理矢理くっつけて完成させた絵は当然ながら本来の正しい絵ではない。
 どんなに歴史に詳しい人間でもすべてのピースを持っているということはあり得ず、もし手持ちのピースだけで完成してしまったとしたら、それは間違っているということだ。必ず空白はできるはずで、その部分を埋めると真実が歪んでしまう。
 分からないことを自覚することが必要というのはそういうことだ。
 自分の論理にどれだけ自信があっても、それが正しいだなどと思ってはいけない。完璧に思えれば思えるほど危うい。
 自分の理屈には必ず空白の部分があるということを常に意識しておかなければならない。

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