神社の仏面について

 今日の更新は2ページ。西区枇杷島3の秋葉神社、西区庄内通4の秋葉神社
 秋葉神社として1ページにまとめることも考えたのだけど、庄内通4の秋葉神社については書きたいことがたくさんあったのでまとめページには載せられなかった。なので、枇杷島3も独立ページにしておいた。
 明かな屋根神様についてはまとめページにしようと考えている。線引きは厳密にする必要もないので、屋根神様でも独立ページにした方がいい場合はそうすればいい。

 庄内通4秋葉神社のページのように機会があれば仏関係も少し書いていきたいと思っている。神仏習合の歴史を考えても、仏関係を抜きに神社は語れない。その神社の祭神の本地仏はなんだったかなども折に触れて書いていった方がいいかもしれない。
 日本人はいい加減だったり潔癖だったり曖昧だったり厳密だったり、よく分からないところがあって、神仏習合時代は何の疑問も持たずに仏を受け入れていたのに明治になってそれを強く否定したのは明治政府の命令というだけではない。江戸末期からすでに神と仏を自発的に分けようとする動きが生まれていた。
 そうやって神仏習合を否定してしまったことで現代に神社の仏面がはっきり伝わっていない。神社の歴史に詳しい人でも神社の仏関係まで踏み込んで認識している人はあまり多くないんじゃないか。そこを抜きにすると神社の半分しか理解できないということにもなりかねない。
 そのあたりのことに関しては、二周目で少し突っ込んで書ければと思う。

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2件のコメント

  1.  揚げ足をとるような指摘で申し訳ないですが、庄内通4の秋葉神社のページでの「浄土真宗が広く普及した平安時代以降」という記述は正確ではなく、「浄土教(浄土思想)が広く普及した平安時代以降」とした方が良いように思います。

    1. >のみぴょんさん

       こんにちは。
       間違いの指摘をいただきありがとうございます。
       こういうのは本当に助かります。
       ひとりで書いていると間違いや勘違いなどに気づかないことも多々あるので、教えていただけるのはありがたいのです。
       皆さんの力を借りて少しでも役に立つサイトにしたいと思ってます。
       今後ともよろしくお願いします。

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