神を並べてガードするという発想

 今日の1ページは港区当知の神明社
 名古屋(尾張藩)における新田開発の功労者としてよく名前が挙がるのが、熱田前新田の津金文左衛門であり、茶屋新田の茶屋長意であり、甚兵衛新田の西川甚兵衛といった人たちだ。
 新田開発には莫大な資金がかかるから経済力がないとできないという前提はあるのだけど、うま味はあっても苦労は大きいし災害と隣り合わせで、下手をすると破産に追い込まれる危険もあったから、それをあえてやろうとしたのは奇特な人といえる。お金儲けのためだけならもっと他の方法がいろいろあったはずで、新田開発は藩のため、民のためという部分もあったに違いない。
 津金文左衛門は尾張藩士ではあるけど、自殺に追い込まれたという説も濃厚で、新田開発をして幸せになった人はいたんだろうかというくらいだ。

 新田村を作ったら氏神はなくてはならない。災害の多い地区だからなおさらだ。
 個人的な感覚では神明社では足りないんじゃないかという気がするけど、江戸期の人たちはアマテラスを祀る神明社には特別な力があると考えていたのだろうか。まず海の神の気持ちを鎮めないことには収穫どうこうという話にはならないのではないかと思ってしまう。
 まず海神を鎮め、堤防の神を祀り、それから五穀豊穣を願うのが順番だ。神社一社では足りない。それこそ三十番神くらい祀らないと安心して米作りなどしていられないんじゃないか。
 考えられるあらゆる神を祀った神社はないところを見ると、そういう発想自体がなかったのか、神同士のバッティングを恐れてやらなかったのか。
 もしそれがタブーではないとして、私が新田開発をしたのなら、海辺の堤防沿いに10社くらい神社を並べたい。神明、熱田、八幡、稲荷、綿津見、龍神、貴船、住吉、金比羅、埴安神くらい並べておくとガードは固まる。
 それ以前に干拓新田はおっかなくて手を出す気にはならなかっただろうけど。

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