今日の1ページは港区東茶屋の八幡社。
茶屋新田の茶屋家についてまとめられたのはよかった。調べて書いて、なるほどそういうことだったのかと流れが理解できた。
八幡社創建については神社の由緒の通りなのだと思う。三十番神の中の一柱を守護神として祀ったのが始まりというのは他の神社でもありそうだ。
久々に神明社から逃れた。けど、また次は神明社だ。一時この八幡社と合併していた東茶屋神明社が次に控えている。港区の神明社はそう簡単には終わらない。
地理的なこともあってか、港区は熱田社人気が低い。八劔社は一社しかない。新田の氏神としては圧倒的に神明社に支持が集まった。この地域性をどう捉えるべきなんだろう。
江戸時代の人たちにとっての神明社やアマテラスとはどんな存在だったのか。そのあたりは今後の研究・考察対象となる。
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