前津小林村の神社と牧長清との関係は

 今日の1ページは中区大須の石神社八幡社合殿
 街中に取り残された何でもない小さな神社なのだけど、石神社と称して布都御魂神を祀っているとなると気になる。しかも、ここでもまた牧長清の名前が出てくる。
 前津小林村の歴史はそれなりに長いだろうけど、どうして前津小林村の神社すべてに牧長清が絡んでくるのかが分からない。長清の父の長義であってもいいのに、そうではない。牧長清が鍵を握っているらしいことは確かなのだけど、実際のところはよく分からない。
 牧長清以前に石神を祀っていたとすると、それは古い信仰が元になっている可能性もある。本編でも書いたように洲嵜神社の元社ともいうべき土地神を石神として祀っていたということは、ここ前津小林村の石神も関係があるのではないかと思えてくる。
 石神というとミシャクジ信仰から発している神社もあるのだけど、ここはそういった民間信仰から来ているのとは違う気がする。
 前津小林村の歴史を辿る必要があるけど、情報は少ない。
 この問題は継続調査ということにしたい。

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5件のコメント

  1. 相変わらず言葉や文字からの思い付きで恐縮ですが、千種区の物部神社も旧称「石神」でしたし、「石→石上神宮→物部・布都御魂」という連想が働いているのかもしれないですね。

    1. >のみぴょんさん

       こんにちは。
       コメントいただきありがとうございます。

       なるほど、石神=石上ですか。それはまったく思いついてませんでした。
       あり得ますね。特に明治以降に石神社の祭神をどうしようとなったとき、石神→石上→布都御魂神となった可能性が高いですね。
       前津小林城の牧長清が布都御魂神を祀るとは思えないですからね。

       石上神宮の石上も、考えてみると由来が謎ですね。
       イソノカミのソノカミが「古い」を表す言葉で、石上神宮のもう一柱の神である布留御魂の布留(フル)と掛かってるのかと思ったりもします。

       東区の物部神社は大石を祀る石神で、式内の物部神社とは違うと個人的に思ってます。
       あの神社の言い伝えに、神武天皇がこの地を平定したときに土地の守りとして要石を置いて祀ったというのがあります。そのお供に物部のウマシマジが付き従ったって話があるから、そのあたりで物部が絡んでいる可能性はあるんですよね。

      1. 「ソノカミ」という古語は知りませんでした。「イソ」と「ソ」の違いが引っかかりますが、「ソノカミ」と「フル」が掛かっているとすると興味深いですね。神武東征以前の「古い」支配者の血筋ですしね。
        東区の物部神社が式内の物部神社でないとすると、和名類聚抄にでてくる「愛智郡 物部郷」がどの辺りだったのかも気になります。
        神武東征に従ったウマシマジが要石を守らせる(祀らせる)ために息子の1人(か数人か)を尾張に残し、その子孫が尾張物部氏になり、その後味鋺の辺りに移っていった、という可能性もあるかもしれませんね。

        1. >のみぴょんさん

           こんにちは。
           石上(イソノカミ)の語源についてはいろいろ説があって定説はないのだけど、接頭語の「イ」+古いことを表す「ソノカミ」といったのは本居宣長でした。
          「其の上」、上古とかとも通じる言葉でしょうか。

           和名抄の愛智郡物部郷は千種のあのあたりだったと思うのだけど、それにしては物部氏の痕跡が少なすぎるんですよね。古墳のひとつも見つかってないのはおかしい。味鋺、味美エリアにあれほど多くの古墳があったことを思うと、やはり不自然すぎる。

           私が気になっているのは、志段味の古墳群の勢力と他の地区の勢力との関係です。
           東谷山山頂に尾張戸神社や古い古墳があって尾張氏とは無関係ではないのだろうけど、尾張氏の本拠という感じはしないですよねぇ。
           庄内川を挟んだ対岸の高座山に初め神が降りて、後に東谷山に移ったという言い伝えがあって、そうなると春日井を本拠としていたであろう和珥氏との関係も気になってくるところです。

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