不明社の限界

 今日の更新は2ページ。中村区黄金通の神徳稲荷。昭和区御器所1の不明社
 御嶽教と稲荷社に直接的な関係はないと思うのだけど、神徳教会が稲荷信仰と関係があるのか、神徳教会関係者が稲荷を好んでいるのか、そういうことではないのか。
 御嶽教の講社や教会については情報があまり表に出ないので実態がよく分からない。

 御器所1の不明社は、屋根神様パターンの熱田・秋葉・津島を祀るとしている。これは最初からではない可能性がある。
 昭和区の北西部はこういった小さな社がいくつかあるのだけど、そのうちのいくつかは御器所八幡宮の分社という。
 屋根神様を降ろしたものというものや、最初から地上で祀っていたものもあり、どこもよく分からない。
 江戸時代から祀っていたものもあるだろうし、昭和に入ってからのものもある。
 出来る限り情報を集めたいとは思っているのだけど、不明社については限界がある。

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4件のコメント

  1. 御嶽山の王瀧口を開かれた普寛行者も稲荷大神を信仰しており御嶽山内三笠山に稲荷を祀った石碑も存在します。普寛の弟子には富士行者もいましたし、またもともと稲荷行者ながら御嶽教に所属し御嶽教教師の資格を取得され宗教活動をされている方も相当数あります。もうひとつは休眠状態の宗教法人を施設ごと買い取り、税制上の優遇をうけるなどしている組織や個人もあります。

    1. >青木先生

       こんにちは。
       コメントをいただきありがとうございます。

       普寛霊神が稲荷神を信仰していたのは知りませんでした。
       名古屋市内の神社を巡っても覚明霊神関係ばかりで、普寛霊神はごく少ない印象です。
       どこかで巡り会えるといいのですが。

       御嶽教と稲荷信仰がつながって合点がいきました。
       信仰はひとつでなければいけないわけではないですもんね。重なっている部分があるのは自然なことでもあります。

       宗教法人を買い取るというのは思いつきませんでした。なるほど、それはあるでしょうね。近年は宗教法人をあらたに取得するのは難しいっていいますし。
       ただ、いくら休眠状態とはいえ、相当な金額だろうというのは想像がつきます。

      1. それから東福寿教会等などで書かれていることについてですが、義覚(儀覚)は普寛の孫弟子で、普寛ー廣山ー儀覚という流れで、儀覚の直弟子の講心願講、福寿講、日出講の初期は純粋な普寛講なのです。覚明回帰の活動が空明や義具などにより活発になり、普寛講から覚明講を名乗る講社がでてきたということと、御嶽信仰に尾張徳川家の庇護があったという事も覚明講を名乗る講社が増えた要因の1つでもあります。

        1. >青木先生

           こんにちは。

           御嶽教のことをいろいろ教えていただきありがとうございます。
           御嶽教については調べても情報が少なくてなかなか分からないので助かります。

           普寛霊神系列は名古屋にもあったんですね。
           今後、どこかの御嶽神社を紹介するときに普寛霊神についても少し書きたいと思います。

           尾張藩が御嶽信仰を庇護していたというのは知りませんでした。これは非常に重要なことです。
           これまでその視点で調べたり考えたりしたことがなかったので、認識を改めないといけません。
           御嶽社と尾張藩の関わりが分かるところに当たるといいのですが。
           明治の神仏判然令は神社と寺を分けるということと、修験をつぶすという目的があったようですね。その過程で、尾張藩と御嶽信仰との関わりも破壊される形で残らなかったのかもしれませんね。

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