氷上姉子神社は過去に何度か直しているのだけど、今回もあらためて手直しした。
やはり難しいというか、秘められた歴史があるに違いない。単にミヤズヒメを祀るために建てた神社とは思えない。持統天皇は何故、干渉してきたのか。何らかの秘密を隠したかったのかと疑いたくもなる。
明治になって一時、郷社となったものの、その後、熱田神宮の摂社になっている。そのあたりの経緯についてもよく分からない。
近くの斎山や姥山との関係も気になるところで、今後も引き続き調査しないといけない。
今日は新元号発表でだいぶ気持ちがそっちへ行っていた。
ネット上をあっという間に様々な情報が行き交って、あらためてネット時代というのを意識した一日でもあった。即時性という点において、もはやテレビも新聞もまったくかなわない。
あと、ロバート・キャンベルさんの教養の深さにつくづく感じ入った。知識や雑学などではない真の教養というのは、ああいうことをいうのだ。
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