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最終的な判断は各自で

 二周目の直しは、中村区の天神社(烏森)神明社(八田)

 烏森の天神社が『延喜式』神名帳の愛智郡針名神社というのは非常に唐突な話に思えるのだけど、江戸時代からそういうことが言われていて、言っていたのは津田正生ひとりではなく、愛知県神社庁(または神社本庁)がそれに言及しているということは、まったくあり得ないことではないのだろう。
 個人的には半信半疑というか、疑いの方が強い。この地で針名根を祀る必然性が感じられないし、尾張氏の姿は見えない。
 ただ、『尾張國内神名帳』の針名天神が萱津天神、入江天神の後に書かれているのは気になる。書かれている順番は地理別になっていて、それは必ずしも明確ではないのだけど、少なくとも西、または南の神社が並ぶブロックに針名天神があるということは、東の平針地区にあったとは考えにくい。
 だとすれば、烏森の天神は場所的には合致しているという言い方ができる。
 簡単に結論の出ることではないのだけど、そういう説があるということをこのサイトに書いておくことは無駄ではないと思う。判断は各自にお任せしたい。

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