二周目の直しは、中川区の神明社(愛知町)。
北一色村から愛知町では名前が遠すぎて接点が見いだせない。旧北一色村地区に北一色の地名や名前などは残されているのだろうか。
各地にある一色がすべて同じ由来ではないだろうけど、何らかの共通認識やイメージみたいなものはあっただろうか。
「イシキ」から転じたと考えると居敷とかでもよかったのに聞かないからあまりないのかもしれない。
なんにしても、もう少し北一色を残しておいてもよかったんじゃないかと思う。
名古屋遺跡マップ作りの作業を続ける。
とにかく面倒で、時間と手間がかかる。どうりで誰もやらないわけだと納得した。
手間がかかるのに単純作業なので眠くなったり根気が続かない。
時間をかけて少しずつやっていくしかない。
コメント