二周目の直しは、港区の八幡社(東茶屋)、神明社(東茶屋)、秋葉社(小賀須)。
茶屋というと金沢のひがし茶屋街のようなところを連想したのだけど、もちろん全然違う。
それよりも名古屋の茶屋の大元でもある京都の茶屋四郎次郎に何か特別な感覚というか引っかかりを覚える。聞き覚えがあるというか馴染みの響きというのか、それとも単に語感がよくて耳障りがいいだけだろうか。
東茶屋の八幡社には感じるものはなかったのだけど、神明社には感じた。あそこは何かがいる。あの気配の正体は茶屋家の人間というか魂ではないのか。
もう一度行って確かめたい気もするし、初回の印象をそのまま持っておきたいようにも思う。
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