記紀は本当のことを書いているのではないか

 今日も更新は休み。
 神様事典【名古屋編】の応神天皇の下書きを途中までやったところで時間切れとなった。
 続きはまた明日。

 ところで古代天皇の長寿についてはいろいろな人がいろいろなことを言っていて定説はないわけだけど、記紀がまったくの絵空事を書いたとも思えないから、何らかの事実に基づいたものなのだろうと個人的には考えている。
 古代において100歳超えというのは本当に非現実的なものだったのか。応神天皇が110歳だったり130歳まで生きたということもあり得ることではないのか。現代の常識が古代にもそのまま通用するとは限らない。地球環境も今とはかなり違っていた可能性もあり、人間の寿命も今よりずっと長かったのかもしれない。平均寿命はあくまでも平均なので、あまり関係がない。
 縄文人の行動範囲の広さにも非常に驚くのだけど、我々がすでに失った能力を古代人は備えていたとも考えられる。地形把握についても現代人とは比べものにならないくらい高い能力を持っていたことからすると、空くらいは飛べたかもしれない。いや、真面目な話。
『古事記』、『日本書紀』はまず疑ってかかるというのではなく、まずはそのまま素直に信じてみることから出発した方が真相に辿り着きやすいように思う。その上で、どうしてそういう書き方をしたのかを考えれば当時の人たちの考えや事情が見えてくる気がする。
 完成した後でもいくらでも書き換えることができたのに基本的にはそれをしていないということは、大勢の人たちがあれでよしとしたということだ。奈良時代の人たちにしても、なるほどこう書くしかないよねという納得の仕方だったのだろう。
 すべてが真実ではないにしても、国が外国を意識しつつ威信を賭けて作った正式な歴史書なのだから、明かな作り話なはずがない。当代一流の人たちが寄り集まって真面目に作ったのが記紀だ。その点は思い違いをしてはいけない。
 このあたりのことについては、いずれ神社コラムで書きたいと思っている。