神様事典【名古屋編】の稚産霊を全面的に書き直した。
よくある説明としては、生産=ムスヒだからこの名が付けられたというのだけど、それは逆で、ムスヒの名から結びや生産とった言葉が出てきたと考えるのが自然だ。
イザナギ・イザナミも、誘っているからイザナギ・イザナミなのではなくて、イザナギ・イザナミから誘うという言葉が生まれている。
イザナギ・イザナミは何を誘っているのか? これはイサナキ・イサナミと濁らずに考えると気づくかもしれない。
反対から読めば、キナサイ、ミナサイ、そう、来なさい、見なさいと誘っている。
どこで何を見るのか?
それは愛を知る国、愛知ということだ。
”あ”と”い”は五十音順の最初と二番目の言葉だ。
アダムとイブもそうだ。
これは偶然なんかではない。
鍵となるのが愛という言葉であり観念であることは間違いない。
今上天皇が子に愛子と名づけたのも、それを分かっているからだ。
時代性というものもある。
AIがアイなのももちろんそうだ。
今年中に神様事典の二周目が終わるかと思ったら、ワタツミとヤマトタケルを残してしまった。
ただ、流れとしてはよくて、ワクムスヒの次にワタツミが来るというのはなかなかのものだ。
話は尾張から三河へ行き、最後のヤマトタケルで尾張と倭に戻る。ヤマトタケルは九州や東国ともゆかりが深い。
今年の更新は今日が最後になる。
今年も一年間、お付き合いいただきありがとうございました。
無事に年を越して、来年もまた会いましょう。
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