今日の1ページは熱田区の神明社(花町)。
古墳の上に神社を建てるという発想はいつ生まれたのだろう。
神社は基本的に人の死を避けるもので、墓の上に神社を建てることはその基本姿勢に反するような気がするのだけど、当時の人たちはどう考えていたのだろう。
埋葬者を神として祀るというなら分かる。しかし、多くの場合、普通に別の神を祀っている。白山社だったり神明社だったりそれ以外だったり。
それは案外古い時代から行われていたものなのだろうか。
高蔵古墳群について詳しいことは知らない。熱田の古墳との関連性はどう考えられているのだろう。
大須の古墳群との関係性も気になるところだ。
古墳時代と神社創世記との間を埋めたものは何だったのだろう。
磐座などを信仰したというのは一部のことで、それが全国的な広がりを見せていたとは思えない。自然崇拝といっても、人は形のないものをなかなか信仰できない。
神社建築は仏教が入ってきたことと無関係ではないだろうけど、そのあたりの切り替えというか、間をつなぐものが見えそうで見えない。
古墳と神社というのはひとつ大きなテーマとしてある。
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