今日の1ページは中村区の向島神社。
苦手な町名神社。町名で上書きされた神社は、どうしてこうも下地が見えなくなってしまうのだろう。調べても情報として出てこない。まるで意志を持って覆い隠したかのように。
ここが稲葉地村だった頃からあったのかどうかもなんとも言えない。せめて元の神社名のままだったら、それが手がかりになっていたのに。
稲葉地村というのは広さのわりに神社が多かったところで、それが何故、一ヶ所に集約されてしまったのだろう。すべて明治以降のことだろうか。
明治末の神社合祀政策によるものなのか、それよりも前だったのか後だったのか。
十二所社や毘沙門社、鎮守社なんかが残っていれば今頃一風変わった神社となっていただろうけど、合祀されなければ廃社になって続かなかっただろうか。
明治政府によって神社は大きな痛手を受けたけど、それも時代の必然だったというしかないのか。
コメント