今日の1ページは南区の呼続3にある秋葉神社。
秋葉神社を建てたのは村人だったのか、寺の人間だったのか、別の勢力だったのか。
かつて秋葉権現は天王社とともにたくさんあったのだろうから、今残っているのはほんの一部と考えてよさそうだ。
秋葉社の歴史を辿るのは難しい。
鎌倉街道というのは鎌倉と京都を結ぶ道の総称で一本の道のことではない。鎌倉往還ともいわれていた。
名古屋市内のどこを通っていたのかはいろんな人が調べたりしてそれぞれの見解を発表している。おおよそのところは予想ができているようだけど、本当にはっきり分かっているわけではなく、名残でも残っているところはごくわずかだ。一部は後に東海道にもなっている。
神社を考える上でも街道というのは重要な存在で、多少でもそれを知っているのといないのとでは神社に対する認識も違ってくる。何故神社をそこに建てたのかを考える場合でも、街道の存在は決して無視できない。古い街道沿いには古い神社がつきものだ。
私も街道に関してはまだまだ認識不足なので、今後とも神社と絡めつつ調べていかないといけない。
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