今日の1ページは名東区上社の日吉神社。
本編にも書いたように名古屋で日吉神社がこうも少ないのはどうしてなのかが気になる。
江戸時代までは山王社としてもっとたくさんあったかもしれない。一度『尾張志』などで尾張全体で山王社がどれくらいあったか確認する必要がありそうだ。
名古屋市内の神社をすべて見ても名古屋市の神社の特徴は必ずしも見えてこない。他の市と比較して初めて特徴が分かるということがあるから、やはり名古屋市だけでは駄目だ。
少なくとも尾張国全体を見ないといけないし、できれば同じ愛知県でも三河との比較をした方がいい。三河エリアは神社の傾向がずいぶん違っているようだ。
とはいえ、まずは名古屋市内を全部やらないと話にならないわけで、名古屋市の終わりがあらたな始まりだ。
終わりはずっと遠のいた。ゴールはないのかもしれない。
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