今日の1ページは千種区赤坂町の金森明神。
何かいわれはあるに違いなくて、興味をそそられるのだけど、どういうものなのか伝わっていない。
江戸時代の何か物語を秘めていそうなのだけど、日露戦争が出てくるととたんに訳が分からなくなる。金森とは何で、どうして眼病に霊験があるということになったのだろう。景清の名前がここで出てくるのも唐突だ。
気になるので継続調査ということにしたい。何か分かれば追記する。
千種区は坂ばっかりで、自転車乗りには優しくない町だ。どこへ行くにも山越えをしなくてはいけなくて、そうなると行きも帰りも上り坂から逃れられない。
一番きついのは、平和公園から本山や東山方面で、自由が丘のへんも厳しい。
千種区の南エリアは古墳時代から鎌倉時代にかけての古い窯跡が見つかっていて早くから人が暮らしていたところなのだけど、北エリアは長く未開の土地だったのだろう。古い神社や古墳、遺跡などはない。
西の千種駅あたりは物部郷と呼ばれ、式内社とされる高牟神社などもあるのだけど、そこは平地だからだろう。
地形と歴史は大いに関係があるので、歴史を知るにはまず土地の地形を知る必要がある。坂道が多いとか高低差があるといった地形の特徴は自分で歩いたり自転車に乗ったりしなければ実感として分からないもので、歴史学においても現地調査はとても大事なことだ。
デスクワークとフィールドワークの両輪でいかないと正しい答えにはたどり着けない。
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