今日の1ページは緑区鳴海町宿地の喜徳稲荷。
宿地の現在の読み方は「しゅくち」でいいと思うのだけど、かつての字名は「しゅくじ」といっていたという話がある。もしかすると今でもそれが正式なのかもしれないと思ったりもするけど、裏付けは取れていない。
こういうときネットの正式っぽい情報を無条件に信じていいのかどうか迷う。地元で通っている読み方が正式名とも限らないし、なかなか悩ましい問題だ。
日本郵政はすべての住所の読み方データベースを公開しているのだろうか。名古屋版だけでいいから欲しいけど、ネット上にそこまでの情報はないように思う。
稲荷は怖いというのはこれまで何度か書いてきたけど、神道の稲荷よりも仏教の稲荷の方がより怖いということをあらためて書いておきたかった。
吒枳尼天の本来の姿は裸で空を飛び回って人肉を食らう夜叉だから、怖くないはずがない。大黒天によってどこまで改心したのだろう。相変わらず死者の心臓を食らっているのだろうか。それとも神となってすっかり人が変わったのか。
稲荷神は現世利益の性格が強いから、その点でもちょっと怖さはある。生きている間はいいけど、死んだら何を差し出さなければいけないのかとか考えてしまう。
触らぬ神に祟りなしというのは本気でそう思う。神社をたくさん回っているけど、願い事はしていない。自分のことだけでなく、人のことについても極力しないようにしている。数百社から借りを作ってしまったら絶対に返せないから。
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