津田正生説
今日の1ページは中村区の烏森にある天神社。
津田正生の式内社とんでも説は多くの場合黙殺されがちなのだけど、愛智郡針名神社は烏森天神のことという説は、ある程度検討されているような印象を受ける。
ただ、本文にも書いたように、個人的には半信半疑よりも疑いの方が強い。積極的に疑っているというよりも、信じるべき理由が薄いといった方がいいだろうか。
烏森天神社が式内とするには、前後の流れがない気がするからだ。そこに至るまでの流れもなければ、天神社以降の流れもない。唐突すぎる感じがする。
平針の針名神社も愛智郡じゃないという理由で外れる。
となれば、愛智郡針名神社は更に別の神社ということになるかもしれない。それはどこのなんという神社なのか。その流れを汲む神社が今でもあるのか、どこかの時点で廃社になってしまったのか。
それにしても津田正生はどうして烏森天神を式内社と思ったのか。
天野景義が愛智郡針名神社を平針村としたのかも謎だ。
烏森村の村名の由来なども含めて、この問題は継続調査ということにしたい。