明治の人たちの熱田社に対する思いとは

 今日の1ページは中川区島井町の熱田社
 本文にも書いたけど明治7年創建で明治10年に村社に列格ということもあるのかと驚いた。村社にするための神社創建だったのかとも思った。
 千音寺村には天神社、赤星神社、七所社とあったわけだけど、どれも北の方で南にはなかった。位置的なバランスを考えてこのあたりにもひとつ、ということになったのだろうか。
 明治前半の熱田社は伊勢の神宮に対抗意識を燃やして尾張神宮を名乗ろうとしたり、同格の待遇を求めたり、尾張造から神明造に建て替えたりと、あれこれ画策していた。
 その頃、このあたりの人たちにとって熱田社とはどういう存在だったのだろう。崇敬なのか親しみなのか、我が村に熱田社が来ることをどれくらい喜んだのだろう。
 神社についての歴史的な記録も重要なのだけど、その当時の人たちの気持ちを知りたいと思う。