今日の1ページは中川区昭明町の神明社。
熱田新田の番割で何番割の神社ということが分かれば、それが大きな手がかりになる。
ひとつの番割に神社はひとつで、すべての番割に神社があったわけではない。
田畑の神であり、時代的なこともあって番割は神明社が多い。江戸時代後期の時点で11社中7社が神明社だ。あとは八劔社が2社、寶田社、天王社となっている。
アマテラスだけではなくスサノオとヤマトタケルも祀っていたというから、江戸時代の感覚では必ずしも神明社=アマテラスではなかったのだろう。
八神神社について少し分かったことがあったので追記した。
どうやらもとは秋葉社だったらしい。ただ、三社並びの中央の社が大きく、神明造ということを考えると、あれが秋葉社とは思えない。
八神神社に改称したときに合祀があったんじゃないだろうか。
それにしても『愛知縣神社名鑑』はいつの時代の資料をもとに書かれているのか。昭和35年に町名変更された前の旧住所をいまだそのままにしている。
旧住所が現住所のどこに当たるのかは意外と調べるのが難しいので、ここくらいはちゃんと修正しておいてほしかった。
『愛知縣神社名鑑』の改訂版を作るときはお手伝いさせてもらいたいくらいだ。
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