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豊国神社とおねさんのこと

 今日のページ作りは、中村区の豊国神社
 大阪の人は秀吉のことを好きというけど、その点で名古屋の人間は負けている気がする。
 秀吉にちなんだ太閤のつく名称があちこちにあったり、名古屋まつりの郷土英傑行列があったりするけど、名古屋の人間が大っぴらに秀吉好きを表明することは少ないように思う。
 中村の人は秀吉を郷土の誇りと思う気持ちが強いかもしれない。好きという気持ちも大阪の人間に負けてないと対抗心を燃やしていることを私が知らないだけだろうか。
 それにしても、名古屋の豊国神社は地味な神社だ。名古屋人に限定しても知名度は低い。行ったことがあるという人はどれくらいいるだろう。
 秀吉は出世を重ねて天下人に上り詰める中で、故郷の中村のことをどう思っていたのだろうか。故郷に錦を飾るみたいなことは考えなかったのだろうか。秀吉が名古屋に残したものは少ない。ゆかりの地をめぐろうと思っても、生まれ故郷とされる中村以外に思いつかない。そういえば菩提を弔う寺や墓のたぐいはあるのだろうか。
 個人的に豊国神社はけっこう好きだ。5、6回は行ってると思う。
 秀吉の神社じゃなければなんてことはないのだけど、参拝に訪れている人たちの感じが好きというのがあるかもしれない。老夫婦が仲良く参拝している姿を見たりすると、これもやっぱり秀吉さんの人徳なんだろうなと思う。
 高台寺のwebサイトの写真を担当してほしいという話をもらったとき、おねさんが呼んでくれたんだと思った。普段は入れないおねさんが眠る霊屋(おたまや)も入って写真を撮ることができた。そこには秀吉とおねさんの像が並んでいた。建物の下には今もおねさんがいる。
 おねさんが生まれたところはよく分かっていない。清洲の朝日村という説が有力なようだ。いつか訪ねていかないといけない。
 豊国神社はまた藤が咲く頃にでも行くとしよう。

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