今日の1ページは児子八幡社。
津田正生が唱えた児宮(児子社)=綿神社説は、わりとあり得るんじゃないかと個人的には考えている。まったく根拠もなく思いついた説とも思えないし、何らかの話を見聞きした上でのことではないかと思う。
綿神社の祭神がタマヨリヒメというのがどうにも納得できなかったのだけど、児宮の祭神がタマヨリヒメで、途中で本社と入れ替わるか何かしたというなら腑に落ちる。
児宮を綿神社とする場合、本社がどういう神社だったのかを説明する必要があるのだけど、そこが分からないのがこの説の弱さだ。児宮よりも本社の方が後に創建されたとすれば、可能性は高まる。
あと、綿神社、児宮を創建したのがどういう勢力だったのかという点も重要だ。本当に北九州の志賀島から海を渡って来た人々だったのか。
そうでないなら、どうして志賀という地名がついたのか。何故、ワタツミの神を祀る神社を建てたのか。
そこには必ず理由があって、必然がある。たまたまとか偶然とかはあり得ない。
そう、神社を建てる必然、これも私がいつも気になる点だ。
一族、もしくは集落の心の拠り所として必要だったのだろうけど、それだけだったのだろうか。現代人には理解できないもっと重大な意味や理由があったのではないか。願いや祈りを超えたもっと深い必然が。
信仰心というのは誰の中にもある自然なものだ。ただ、神社を建てて特定の神を祀るという行為は必ずしも信仰心とイコールではない。より現実的な出来事であり、目に見えることだ。ひとりの意志でできるものでもない。
古代の人々の意識に潜り込み、そこから世界を見て、気持ちをシンクロさせなければ神社の本質は見えてこない気がする。
神社を建ててそこに人が住むわけではない。当たり前のようだけど案外これは当たり前のことじゃないかもしれない。そこが寺と神社の大きな違いだ。
神社を建ててもいいけど建てなくてもいい。なのにあえて建てることの必然の正体が知りたい。
何故、その神社を建てなければならなかったのか? その問いの中にこそ神社を知る上での重要なヒントがあるように思う。
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