今日の1ページは守山区の小幡白山神社。
古墳の上に神社を建てるという発想はいつくらいに生まれたものなのだろう。今でもけっこう罰当たりな感じがするんだけど、案外そうでもないのか。
古墳が作られたのはだいたい7世紀までとされているから、600年代の終わり。古墳が古い時代のものという感覚になるのは、平安時代くらいだろうか。その頃はまだ壊されることなくそこら中に古墳がボコボコあったのだろうし、平安時代を生きていた人たちはそれを見てどう思っていたのだろう。200年も経てば、意味が分かん、とでも思っていたのだろうか。
古墳の上の神社問題は今後も考えていかないといけない課題のひとつだ。古墳と神社の関係も、自分なりに理解したい。
前回、時間と空間が交わった一点を捉えることが大事と書いたけど、少し補足すると、やはり神社を理解するには立地と年代を知ることがとても重要で、それは机に座って史料を読み込んでも、ネットでいくら調べても分からないことで、現地に足を運んでみないと決して知ることができないものだ。
自分の目で見て、肌で感じたことから分かることも多い。
感覚といったものも大切にしている。主観的に言えば、いい神社とそうでもない神社ということになるのだけど、それは案外当てになるんじゃないかと思っている。逆に言えば、感覚でしかその神社の本質は捉えられないと言ってもいいかもしれない。
神社は空間であり、そこに時間が積み重なっている。時間という薄皮を一枚いちまいめくっていって、最後にめくった底に神社の始まりがある。その突き当たりを目の当たりにしてみたいという願望がある。
積み重なった時間というのは手強くて、そう簡単にはめくらせてくれないのだけど。
コメント