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時代の変遷と神社

 今日の1ページは南区の桜田八幡社
 この神社に関してはほとんど何も分からない。八幡社だから素性に謎はないものの、誰がいつどんな目的で創建したのかが見えてこない神社だ。
 その代わりでもないのだけど、笠寺台地の地形に関する記憶をとどめるという意味で価値のある神社という言い方ができる。
 神社を知るのは、まずその土地を知らなければならない。縄文時代、弥生時代までさかのぼって、そこから未来方向に向かって考える必要がある。
 ごく一部の古いところを除いて、社殿を持つ神社が創建されるようになったのは、645年の大化の改新以降のことだ。もう少し絞ると、672年に壬申の乱で天武天皇が即位したあとということになる。
 神社創建は、中央による地方支配の一環という側面があったと考えられる。そういう意味で、寺院と神社はその成り立ちが大きく違っている。
 豪族が地方を支配した古墳時代を経て、中央集権国家を目指した飛鳥時代、奈良時代、平安時代と進む中で、各地に多くの神社が建てられた。この流れを理解しておかないと神社の本質を知ることはできない。平安時代と鎌倉時代に建てられた神社では全然意味が違うし、それは鎌倉と室町、室町と戦国でもそうだ。
 そのときどきによって人々の願いは変わるし、時代の流行といったものにも左右された。神社にも流行廃りがあった。
 尾張国というのは非常にユニークな土地柄だと思う。地方であり、中央との関係も深く、縄文から戦国、江戸時代まで、途切れることなく歴史が積み重なり、それぞれの断層を見ることができる。
 名古屋市内という狭いエリアに絞った神社ガイドではあるけれど、すべて紹介し終わる頃には、神社の世界観全体を総括できるのではないかと考えている。

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