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好きな祭神を選べるなら

 今日の1ページは千種区の蝮ヶ池八幡宮
 創建と遷座にまつわるいきさつが理解できずに苦戦した。飛地境内社の西八幡社の存在が事態をややこしくした。由緒書きがもう少し分かりやすければよかったのだけど。
 それにしても、何故、新田の守り神として八幡神だったのだろう、と今更ながら思った。神明社でもよかったし、田んぼの守り神としてふさわしい神様は他にもいる。
 好みや趣味は人それぞれで、信仰する神様に関しても同じことが言える。時代が下れば、人はある程度自由に神様を選ぶことができるようになった。古い時代はそうはいかない。そもそも一般人が神社を創建したりはできなかった。
 時代が進むと悪いこともあるけど、いいこともある。思い返せば、神社についてもっとも自由だったのは江戸時代だった。神仏習合が当たり前で、どんな神様も仏も好きなものを選ぶことができた。実際はいろいろ制約もあったのだろうけど、その後の明治期のことを考えると、江戸時代は自由度が高かった。現在は、江戸期のように簡単に神社を建てたりはできない。
 神社を創建した人が何故その神を選んだのかが気になる。何を思い、何を願い、何を求めたのだろうかと想像する。
 自分がもし、好きな祭神を選んで神社を建てられるとしたら、どの神を選ぶだろうと考えてみる。
 せっかくなら女神がいいかなとか思って、宗像三女神とかも惹かれるのだけど、なんだかんだいってサルタヒコにしておこうと思うかもしれない。深い理由はなく、なんとなく。
 自分が好きな神様を見つけるというのも、神社巡りの楽しみのひとつだと思う。

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