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神社は森に守られ森を守る

 今日の1ページは南区の村上社
 何しろこの楠はいい。一目見て、これはすごいと思った。
 名古屋市内には他に、中区松原に楠の巨木がある。
 中区松原にクスノキさんは残った(ブログ)
 あちらの楠は神聖さはあるけど、幹に大きく空洞ができていてちょっと痛々しくあるのだけど、村上社の楠は元気いっぱいで生命力に溢れている。
 この先、まだまだ何百年も生きるんじゃないかと思う。
 人が巨木に神聖を見るのは、昔も今も変わらないし、おそらく世界共通の感覚なのだろう。
 日本には高木神なんて神もいる。
 街中でこんもりした森を見たら神社を疑え、という鉄則がある(?)。ときにそれは公園だったりするのだけど、森と神社はセットで、切っても切れない関係にある。逆の言い方をすると、神社が残ったから森も残った。
 明治の神社合祀政策で熊野の神社がたくさん壊されたとき、南方熊楠が怒り、危惧したのは、それが自然破壊に直結することを知っていたからだ。神社というのは、神を祀るだけのものではなく、間接的に自然も守っている。
 街中に自然が少なくなった現代も、神社へ行けばわずかにそれは残っている。目には見えなくてもそこでは多くの命が育まれている。それがとても貴重なのだ。
 遅ればせながら人がそのことに気づいたことで手遅れになることを防いだ。これからも神社が森を守っていくことになるだろう。この村上社の楠も。

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