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何故を考える

 今日の1ページは西区の大乃伎神社
 西区、北区の式内社は、式内社かどうかという問題と、山田郡と春部郡の郡境問題も絡んでくるからやっかいだ。大乃伎神社は六所社系でもあるから、三重苦といえる。
 結局、はっきりしたことは何も分からないというのが大乃伎神社の結論ということになってしまう。これまで何百年も分からなくなっていることを自分だけが分かるなんて考えるのは傲慢でしかないわけで、分からないのが当然だ。ただ、分からないなりに少しでも真相に迫りたいという気持ちはある。
 謎を考える上で、地理問題というのがひとつ鍵を握っていると最近思うようになってきた。何故その場所だったのかというのは、とても重要なポイントだ。
 何故そのときだったのか、何故そこだったのか、何故その祭神だったのか。それらの何故を考えることが神社創建の最初の地点に近づくことになるのだと思う。
 もうひとつは、自分ならどうするかと考えることだ。自分が彼らと同じ時代の同じ場所に立ち、世界を未来方向に眺めたとき、自分ならどうするだろうと想像してみる。もし彼らの思いとシンクロできたなら、それは自分も神社創建の場面に立ち会っているようなものといえるかもしれない。
 神社というものを思いつき、創造し、守り伝えた日本人の精神性に迫りたい。

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