今日の1ページは中村区の土江神社。
「ヒヂ」問題については江戸時代、もしくはそれ以前から混乱があったようで、他人事だと思うとなかなか面白い。
土江神社なのか、土津神社なのか、泥江なのか、泥津なのか、今となってはよく分からない。
ただ、一番よく分からないのは、江戸期にはすでに土江神社自体が荒廃していたというのに、明治になって郷社になったのは何故だったのかという点だ。幕末から明治維新にかけての期間に急速に立て直したということだったのだろうか。
土の中に点の文字は、新撰組の土方歳三の土もそうだったのではないかという話がある。
ちょっと興味を惹かれたのは、玉の一画目がないのが点あり土という説だ。
点ありの土が玉と何らかの関係があるとすれば、そこには何か面白い話がありそうにも思う。
まあ、単純に水分量の違いを土と点あり土で使い分けていただけかもしれないけど。
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