ひちしょはただの訛りなの?

 今日の1ページは中川区の七所神社(伏屋)
 ちょっとよく分からない神社ではある。熱田神宮から七社を勧請して創建したという話もそのまま信じていいのかどうか。
 こういう場合、どうして「所」なのだろうといつも疑問に思う。「社」では駄目なのか。所という文字、もしくは「しょ」という読みに何か特別な意味があるのだろうか。
 七所を「ひちしょ」と読ませるのもどうしてなのか気になる。「ひち」で漢字変換しても「七」は出てこない。「ひち」で変換できる文字はない。
 わざわざフリガナを振っているというところに何かありそうな気はするのだけど。
 中川区にはもうひとつ、富田町に七所社があり、そちらも「ひちしょ」と読ませるようだ。まだ行っていないので詳しいことは分からないのだけど、あちらの七所社もよく分からない神社のような感じがする。

 中川区の神社も半分くらいは回ったと思う。ただ、特徴はまだ掴めていない。現地で感じたことと、その印象を持ち帰って調べて書くことと、両方で初めてひとつの認識として定着する。どちらか一方では半分でしかない。
 フィールドワークとデスクワークの両輪で進まないと先へは行けない気がしている。
 神社めぐり自体は順調に進んでいる。サルタヒコ号も快調だ。
 明日も私は名古屋市内のどこかの神社にいるだろう。

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