中川区の地形の歴史は
今日の1ページは中川区の熱田社(春田)。
やってもやっても終わらない中川区。今はまだ、北西エリアをうろちょろしているだけだ。
現在の地名と、江戸時代の村名と、その位置関係がようやく少し分かった。
ただ、古代から江戸時代にかけての地形の歴史がよく分からない。富田あたりは古くから荘園があったということで、農耕ができた土地だったようだけど、海抜ゼロメートル地帯のこのあたりは平安海進の影響はなかったのだろうか。
佐屋街道が整備される前はどの程度の規模でどの程度利用される道だったのかとか、庄内川の流れはどのように変わったのかなど、知っておくべき知識が不足している。
中村区はわりと理解しやすかったのに、中川区は理解が難しい。
神社の歴史を調べるだけでなく、中川区の地形の歴史についても調べを進めていく必要がある。