今日の更新は、中川区の富田忠魂社と太神社。
時代の気分が神社を選ぶということがある。江戸時代でも、前期と中期と後期では人々の神社に対する考え方も違っていただろうし、明治、大正もそれぞれ全然違う。
富田忠魂社が大正3年に建てられたというのも、その時代の気分と無関係ではない。
太神社に関してはほとんど何も分からなかった。
「太」がどこから来ているのかも、全然想像がつかない。
祭神はアマテラスじゃない気がするのだけど、神社側がそういうなら信じるしかない。
中川区の北西エリアから南西エリアへと向かうところで、いったん中断となる。このエリアをめぐっている途中で日没時間切れとなった。
中川区はこのあと北東エリアから再開ということになる。
その前に、中村区の取りこぼし神社もやってしまいたい。中村区も思った以上に神社が多くて、まだ全部は回れていない。
南西エリアを思うと、北東エリアの名東区、千種区なんて10社程度しかないから楽なものだ。
どうして南西エリアにこれほど多くの神社があるのか、その理由も探り当てたいところだけど、答えはあってないようなものなのかもしれない。
コメント