今日の1ページは中村区の中村天神社。
これも名古屋城からの引っ越し組だ。築城の際というのとは違うけど、名古屋城に翻弄された神社のひとつと言える。
清洲も名古屋城下への町ごとの引っ越しによって一時は寂れてしまったというのがあったけど、名古屋城前にあった寺社や民家なども、多くが強制立ち退きの憂き目に遭っている。当時のことなので、問答無用だ。
神社の遷座が必ずしも悪いことだとは思わないけど、それ以前の記録が分からなくなってしまうのが残念だ。
分霊による勧請が是なら引っ越しくらいは何でもないといえば何でもない。土地神の場合、引っ越してしまうと意味が違ってしまうような気がしないでもないけど。
神はどこに在るのかという問題をたまに考える。
その土地なのか、社の中なのか、境内の中を歩き回っているのか、神社の外まで自由に出かけているのか。
神にとって神社というのはどういう場所なのか。我が家みたいなものと思っているのかどうか。
私たちは神社に足を運ぶ。なぜならそこに行かないと神に会えないと思うからだ。神がそこらに偏在しているなら、家の中で願い事なり参拝なりすればいい。でもそれでは駄目だとどこかで了解している。
ときどき、ここは神さんお留守なんじゃないのと思う神社がある。居心地が悪くて出て行ってしまう神もいるのかもしれない。
コメント