今日の1ページは城屋敷神明社。
稲葉地神明社とセットのようだけど、成り立ちはだいぶ違う。
城跡が神社になるというパターンはけっこうある。館城くらいの敷地が神社にもちょうどいいからなのか、城跡というものに特別なものを感じていたのか。
普通に考えれば死にまつわる血なまぐさい土地に神を祀るのは適さないような気もするけど、だからこそあえてだったのかもしれない。
戦国時代が終わって世の中が平和になった江戸時代前期、人々は神や神社についてどう思っていたのだろう。時代が変わって神社も劇的な変化があったのだろうか。
アマテラスを祀る神明社を建てることは、江戸時代前期の人たちにとって当然のこととすんなり受け入れられることだったのか。
アマテラスという神はどの程度身近な存在だったのだろう。
1600年代の神明社の推移といったデータがあれば見てみたいけど、大事なのは江戸時代に生きた人たちの気持ちであり、認識であり、態度だ。
そのあたりのことが見えてこないと全体を理解することができないように思う。
文献には江戸時代を生きた人たちの気持ちは書かれていない。
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