今日の更新は2ページ。中村区の岩塚津島社と岩塚八幡社。
この2社は岩塚の東と西で対のようになっている神社だ。もちろん、津島と八幡では全然違うといえば違うけど、村の鎮守という意味では同じようなものとも言える。
津島がよかったとか八幡がいいだとか、村人が自由に選べるものではない。生まれた村にある神社に参り、一生その神社を大切にするしかない。
祭神の違いが、村人の意識や人生に与える影響がどれくらいあるのだろうか、とふと考えた。
神明社のある村で育った人間と、八幡社のある村で育った人間とでは何か決定的な違いといったものが表れるものだろうか。
現在ならもちろん、そんなことはないし、現代人の感覚では知り得ないことなのだけど、神社が人生のあらゆる場面で深く関わっていた時代において、神社の種類の違いは少なからぬ影響を与えたのではないか。考えすぎだろうか。
考えても分からないことではあるけれど、自分だったどうだろうと考えてみた。
いや、そんなものは自分で選べるものではないのか。
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