今日の更新は中川区の八剱社(五女子町)と熱田区の幡野神社。
八剱社の謎というとちょっと大げさだけど、中川区に八剱社が多い理由が何なのかは気になるところだ。
これが港区になると熱田社が多くなる。その違いは何なのか。
「はちけん」、「はっけん」、「やつるぎ」の読み方の違いはどこから来ているのか。
八剣の八は数字ではなく永遠といった意味を持つ彌(弥)から来ているという説もあって、「はち」ではなく「や」でないと元の意味からずれてしまうような気がするのだけどどうなんだろう。
そのあたりについては熱田神宮別宮の八剣宮のところで書きたいと思う。
幡野神社に関してはまったく分からなくてお手上げだった。
五反城神社も分からなかったけど、あそこは紋が熱田神宮と同じだから熱田神宮関係だろうというのはあった。幡野神社に関してはそういった小さな手がかりさえない。
意味なく建てられた神社というものはないし、現在まで守られてきたということは関係者にとって大事な神社だったということで、あまりにも何も分からないというのは残念でもあり、もったいなくもある。
稀には我々のようにふらっと立ち寄る人もいるだろうから、せめて祭神だけでも分かるようにしておいて欲しいと思う。
コメント
コメント一覧 (2件)
幡野神社は、文献では知らないが、秦氏と繋がりはまず間違いないし、幡とつく名は殆んどが機を織る女神の神である。古来機織が渡来民によりその技術が当時倭國である日本に伝来した。その知恵を持つ巫女軍団が秦氏一行である。「漢織 (あやはとり)」や「呉織 (くれはとり)」や「萬旗豊秋津師姫命」「栲幡千々姫命」「天棚機姫命」「天羽槌雄神」などがその神である。
熱田神宮側に「旗屋町」があるが、この地に機織りを伝来したその末裔達の町と言えると私は思う。
熱田神宮境外摂社に青衾神社がある。かつて白衾神社もあったそうだが、衾とは、寝具の一種。現在の掛けぶとんのようなもので,平安時代から宮中で用いられたものだ。
織り物・布であるからして、機を織る神が祀られている事は間違いない。
ただ、幡野神社はどの神の名で祀られているかまでは判らないが、同じ神でも名は違う場合もあるから、文献が無ければ区別はつかないが、漢織・呉織当たりなのかも?知れないですね。
>池ノ谷さん
こんにちは。
コメントをいただきありがとうございます。
機織はかつて重要な役割を果たしたので、その関係神社はけっこうたくさんあったはずなんですよね。現存するものはどれくらいあるのか。
機織については名古屋神社ガイドの中で折に触れて書いているのですが、実態はなかなか分からないというのが実感です。
北区の多奈波太神社なんかも関係がありそうなのですが。
青衾神社や白衾神社なんかもよく分からない。忘れ去られてしまったのか、上書きされたのか。
秦氏についても分かっているようで分からないですね。何しろ数が多すぎて一族という単位ではないですし。
伏見稲荷大社や松尾大社なんかは深く関わっているのは間違いないでしょうね。
技術者集団ともいうけど、どこまで広がって浸透していったんだろう。
波田とか羽田とか服部とか羽鳥とか、そのあたりも秦氏と関係があるのかもしれないですね。