民間信仰は残る
今日の1ページは熱田区の須賀町社宮司社。
民間信仰系の神社はこれまであまり興味がなかったのだけど、このサイトをきっかけにだいぶ興味が出てきて面白さも感じている。難しいし分からないけど一般的な神社とはまた違う魅力がある。
平安時代以降、地方の村にも神仏習合の波は押し寄せて村人たちは否応なしにそれに飲み込まれただろうし、それ以前からあった素朴な信仰や、道教や密教、修験なども加わりつつ、人々は智恵でそれらを統合し、逆に飲み込んでいった。
そうやってできあがった信仰というものはひと言では説明できないのは当然で、更に年月を経て姿を変え、もはや原形をとどめていない。
明治の新しい世の中と戦争を経たことで古いものの多くが失われてしまったのも大きい。
現代人は歯痛になったら歯医者に行って治療しないと治らないと知っているけど、昔の人は神社に願掛けをしたりした。それを笑うことは簡単だけど、そのあたりにも信仰心の本質的な部分があるように思う。
名古屋にも少なからぬ数の社宮司社や石神社などが残っている。民間信仰は消えたわけではなく今でも生き続けている。姿を変えただけともいえる。
そういった古い信仰を完全に理解するのは無理としても、そういうものがあったということは知っておいてもいい。今現在もあるということも。