今日の1ページは昭和区の丸屋八幡神社(池端町)。
ここは龍神関係ではないのだけど、池を埋め立ててどうこうという話はよく出てくる。
ときには川も埋め立て、海も埋め立て、人は土地を増やしてきた。そのことが必ずしも悪いことではないのだろうけど、人間の勝手な都合で自然を加工してしまうことに寂しさのようなものを感じる。
そういう感情もまた、人の身勝手というものかもしれないけれど。
八幡社というのは単純で謎がないようでいて、意外と分からなかったりする。
人は八幡神に何を願ったのか? 時代によっても変化していったのだろうし、立場によっても願いは違ったはずだ。
現代の我々も、戦の勝利を願うわけでもなく、かといって応神天皇を崇拝しているわけでもない。でも、普通に八幡神社へ行って願い事をしたりする。
未来の人が過去の人間は八幡神に何を願っていたのだろうと疑問を抱いたとき、我々はどう説明すればいいのだろう。
それはアマテラスであっても、スサノオであっても同じことではあるのだけど、八幡神というのはある意味では実態がないので分かりづらい。もともと外国の神だったという話もある。
八幡神社は今後どういう変化を見せていくのか。100年後くらいならそんなに変わらないだろうけど、1000年後となると分からない。
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