今日の1ページは昭和区の汐見町須佐之男社。
この神社もやっぱり東区にあった天王社だった。たぶん廃社になったものもあっただろうから、名古屋城下のあのあたりは天王社だらけだったんじゃないか。
熱田神宮周辺が秋葉権現だらけだったことと、東区の天王社密集は非常に特徴的で印象的だ。中川区、港区は神明社が多いといってもこんなに狭い範囲に固まってはいない。
地区による神社の流行りというのはあったと思う。特に江戸時代は階級ごとに分かれた横並びの社会だからよけいにそうだ。うちだけは独自路線でいくぜなんてことはあまり許されなかったのかもしれない。
汐見町の地名の由来は、ここから海が見えたことだそうだけど、今は海から遠すぎて少々高いところに登っても海は見えない。
地名が語るというのは本当で、自分の街にどんな地名があって、それがどんな特徴から来ているのかを知っておくことは無駄じゃない。水に関する地名はちょっと注意が必要だったりする。
私もこのサイトを始めるまでは地形や地名になどほとんど興味がなかったのだけど、神社の歴史を調べていくうちにそれらに興味を持つようになった。
自転車生活を始めたことで高低差に敏感になったというのも地形を感覚的に理解する上で役立っている。
昭和区、瑞穂区あたりはあまり土地勘がなくて知らないので、神社を調べつつ土地の歴史についても学んでいくことにしたい。
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